8年ぶりの上海奮闘記
2025年4月23日
『続・徒然日記』
葉山 明彦
驚愕のキャッシュレス社会
中国が昨年末に日本人のビザなし渡航を解禁したので、3月中旬、8年ぶりにかつて駐在した上海に行ってきた。上海では経済発展の際中に新型コロナ感染のまん延で一時は市全体をロックアウトするなど厳しい措置をとっていたため、久々に見る町がどのように変わったのか興味があった。
市中はあっちこちでリコンストラクション、古い低層ビルや庶民のアパートが各地で高層の商業ビル・住宅に建て替えられていて、コロナ時の停滞など微塵にもなかったような勢いを感じた。しかし、それ以上に驚いたのはスマートフォンによるキャッシュレス社会の進展である。物販やサービスの予約・購入・決済まで生活の隅々に至りスマホ使用が浸透していたことだ。日本でも近年Paypayなど電子マネーが普及しだしているが、当地の複数payが規模的には比較にならないくらいのサービスや利用店舗、関連するアプリを取り込んでいて、この結果、キャッシュレス化が進み、店頭で現金の支払いができない店が多くなった。新型コロナを経て非接触化が好まれ、通販の大躍進もあった。金融機関もモバイル対応を積極的に後押ししたことで、様々なアプリが開発され、キャッシュを必要としなくなる社会が強力に形成されていったようだ。

上海ではスマホによるキャッシュレス化が定着(写真は外灘)
スマホ万能の時代に
例えば飲食店で食事を注文する場合、日本でも浸透しつつあるタッチパネルは既に当たり前、さらに進み自分のスマホでテーブルにあるQRコードを読み込んでメニューを開きオーダー、食後はスマホで決済しレジは素通りという店が増えている。タクシーに至ってはスマホの専用アプリで、乗車場所と降車場所を予約し、決済はスマホで専用機器をスキャンするだけ。つまり運転手とは一切会話する必要がないということだ。この結果、街中から空車のタクシーが消え、昔のように手を挙げてタクシーに乗る光景は見られなくなった。このほか本当か嘘か、巷では路上の物乞いの恵み銭もスマホで払えると言われていて用途は広い。
これらのスマホアプリは中国内の金融機関に口座を持たないと成立しない。したがって日本人を含む外国人は利用できないので、私はクレジットカードか現金を使える店しか利用できなかった。ただ、外国人にとってあまりにも不便だという声が大きくなり、運営会社は最近手続きを踏めばアプリをクレジットカードに紐付けられるようにしたと後になって知った。
公共交通は専用カードで
困るのは外国人だけでなく、上海にはキャッシュレス化のスピードについて行けないお年寄りもたくさんいるので、街中では現金でもよいという店もあり、私はホテルの近くのコンビニエンスストアで店員に怪訝(けげん)そうな顔をされながらも現金払いを貫いた。
ただ地下鉄やバスなど公共交通機関の利用では、日本のSuicaやPASMOのようなタッチ方式の交通カードを窓口で売っていてこれを利用できた。もちろん公共交通機関もスマホアプリの利用は進んでいるが、上海市はビザなし渡航の解禁に合わせて外国人用に「上海PASS」なるカードも発売していて、既に根付いているカード方式を併用している。上海の地下鉄網は8年前に比べると驚くほどの拡大していた。もはや東京や大阪よりもたくさんの路線があり、市内の移動だけは自由にできたのでよかった。
伝説のジャズバーや水郷を観光
8年前に比べた上海のキャッシュレス社会の進展について述べたが、せっかくなので交通カードを使って地下鉄で観光した上海紀行も書いておく。
一つは上海を代表する名所の外灘(ワイタン)にある和平飯店(フェアモント・ピース・ホテル)のオールド・ジャズバーだ。70歳以上のジャズマンによるバンド演奏で、それこそ租界時代を受け継ぐレジェンドものだ。観客はほぼ外国人でクレジットカードが使えた。ジャズと言ってもセントルイス・ブルースから欧州民謡、ラブミー・テンダー、ムーン・リバーなど軽音楽で、日本人客がいたからか瀬戸の花嫁まで演奏したのにはうれしいサプライズだった。

老ジャズマンの演奏はレジェンドもの(和平飯店)
上海市内の有名な水郷、朱家角にも足を向けた。

朱家角に地下鉄で行けるようになった
上海周辺には蘇州、無錫をはじめ大小たくさんの水郷があり、私は水郷好きなので駐在時代に週末になるとよくこれらを訪れた。朱家角にもバスを乗り継ぎ何回行ったが、地下鉄の延伸で朱家角に駅ができ、気軽に行けるようになった。運河のような水路に小舟が行き交い、両側には寺社や旧跡、商店が並ぶ。茶館の2階からこれらを望み、悠久の時を過ごせたのはとてもよかった。(了)