続・徒然日記

灼熱のドバイ

2024年10月23日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


今回は20年くらい前になるが異郷の地、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに行った時の紀行を書く。アラビア湾(ペルシア湾)の内に位置するこの国は暑い砂漠気候に分類され、4月から9月までが夏、10月から3月が冬という2季性だが、私が行ったのは6月で盛夏。日中の気温は連日40度を超え、かつ多湿だった。日本でも今年の夏は猛暑が長く続き、40度近くを記録した場所もあったが、ドバイの夏はそれが日常だ。

私は空港近くの外資系ホテルに宿をとって1週間の仕事の拠点としたが、まず最初に訪れたすぐ近くに見える航空会社の建物との移動で暑さの洗礼を浴びた。往きは時間に余裕をもってタクシーを呼び、あっという間に着いたので、取材を終えた帰りは歩道(らしきもの)を歩けばよいとテクテクと数分程度の道を歩いたのだが、あっという間に汗びっしょり。ホテルに着いたら身体から湯気がたち、全身水をかぶっような状況となった。そもそも外を歩いている人などいない。もう5分も歩けば生死にかかわる状況だったかも知れず、当地の気候を甘く見たこと反省しきり。しかし、話はこれだけでない。部屋に戻り、とにかくシャワーで汗を流そうと裸になってコックを冷水にひねったところ、出てきたのは熱いお湯。しばらく待つも一向に水にならない。あきらめて部屋で冷房をガンガンかけて身体を冷した。後で聞いたが、水道管が地中に埋められており、地熱で管全体が熱くなっているため、この時期は水道で熱い水(お湯)しか出ないそうだ。「郷にいれば郷に従え」という諺があるが、まさに「ドバイにいればドバイに従え」を身をもって教えられた。

ドバイ首長国は20世紀終盤には脱石油依存を掲げ、空港、港湾の何次にわたる拡張や高速道路、高層ビルの建設、町の緑化などインフラ整備を続け、潤沢な石油収入をもとに貿易、観光だけでなくあらゆる産業に投資を行っていた。中心部は見るからに近代的で、車で町を走っていると一瞬、ロサンゼルスにいるのではないか思うくらいであった。町中にはカルフールやJCペニーなど大きなショッピングセンターがあり、遊園地や映画館までそろっていて治安はとてもよい。当時の金満ドバイの象徴がジュメイラ・ビーチにある半月形のホテル、バージュ・アル・アラブだ。市内中心部から10㌔ほど離れたアラビア湾に面するリゾート地にあり、すべてスイートルームで1泊十数万円もすると聞いた。そもそもこのホテルに入るだけでも入場料(クーポンでホテル内の店で使える)に当時で6000円くらいかかる。クーポンは店で使えるとはいえ、飲食代そのものが目の玉が飛び出る高さなのでこのホテルは遠慮した。

写真:バージュ・アル・アラブ       (ジュメイラ・ビーチ)

仕事の合間にどこか古い町は残っていないかと探してみると、クリークと呼ばれる入江の港町があるのを知り、少し涼しくなる夕方を見計らって訪れた。そこはドバイが中継貿易の基地として発展する礎となった場所。入江は風雨など悪天候時に船が避難できる停泊場所として重要で、そこに近隣から船が出入りし中継貿易が栄えていった。大型船はもはやクリークに入れず別の近代的な港湾に移ったが、クリークにはいまでも荷物を満載した小さな船が行き交い、港で荷を揚げて積んで去っていく。貿易圏は対岸のイランなど湾岸各国からインド、パキスタン、東アフリカと広い。港に行くと船の荷役する人たちで活気ある。対岸までアブラという小さな渡し船があり、これに乗ってみた。対岸港のすぐ前に大きなモスクがあり、そうだ、ここはイスラム教の国なんだと改めて自覚した。

写真:渡し船でクリークを対岸へ

対岸港のすぐ裏にはオールドスークと呼ばれる市場があった。屋根のあるごちゃごちゃした通りに間口の小さな店が奥深く何軒も並んで、布地や雑貨を売っていた。スークは品物によって何か所かあるようで、渡し船によって再び元の地区に戻ると金専門に売買している店が集まるゴールドスークがあった。貿易で得た札束をそのまま持ってクリーク裏のゴールドスークで金に買い替えるというストーリーを思い浮かべるとアラブ商人の活気を感じて楽しくなる。店に入ると冷房が効いて気持ちよく、いつまでも居たくなった。

近代的な都市ドバイとはいえ、もともとは砂漠の町。高層ビルや高速道路の町を一歩出ると外はすぐ砂漠だ。週末に砂漠体験のツアーがあるというので行ってみた。夕方、ホテルで4WD車にピックアップしてもらい、郊外に出ると車はタイヤの空気を抜いて砂漠走行に備えた。客は私とマレーシア人3人の計4人。砂漠に入ると山谷を縦横に走り回る。砂漠にこんな崖があるのかと思うような場所を下っては登り、登っては下りの繰り返し。若いドライバーは面白がってやっているのではないかと思うくらい運転が荒っぽい。そのうち気持ちが悪くなり、乗っていたマレーシア人が車を止めてゲロをはいた。私も危ないところだったが、それからは無謀な山谷運転を避けて夕暮れにラクダのいるテント村に着いた。あっちこちから4WD車が集まってきて、ここで砂漠に落ちる夕日を見た後、バーベキューの夕食と併せてベリーダンスのショーを観ることができた。アラブの最先端を行く近代都市と昔ながらの古い町、そして砂漠の多面を見ることができた灼熱の地の旅であった。

写真:砂漠の崖を下る4WD車

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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