続・徒然日記

歳が導く心豊かな山旅

2024年8月21日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


しかし、今年の夏は暑い。地球温暖化の進展もあってか、7月の日本の平均気温は偏差指数+2.16度で、統計をとった1898年以来最も高かったそうだ。「暑いと言うとよけい暑くなるから言うな」と子供のころ親から叱られたものだが、今年の猛暑にはつい暑~い!と愚痴のひとつも言いたくなる。そこで今回はそんな気分を拭い捨てて、山に行った涼しくて楽しい話を書こうと思う。

今月上旬に北アルプスに行き、穂高連峰の下をトレッキングしてきた。夜行バスで入山した上高地は標高1500m、朝の気温は22度で山独特の清涼な空気は長袖をまといたくなる感じだった。めざしたのは涸沢という穂高連峰がぐるり取り巻くカール(圏谷)地形の場所。標高2400mでその日は好天ながら昼の気温は19度だったので涼しさは申し分ない。

私は若い頃から山歩きをしてきて、かつてはこのルートから3000mを超える奥穂高岳や北穂高岳の頂上に登ったものだが、齢七十の今回は無理をせずに穂高のパノラマビューを楽しみに来た。ただ、この涸沢に着くのもそうたやすいものでは無い。上高地からの標高差900mを6時間かけて登るのだが、最後の2時間の登りがきつく、汗びっしょりで休む回数が増える。そのうちこの日泊まる山小屋が見えてきたのでモチベーションが上がるが、歩けど歩けどなかなか着かない。そういえば若い時も「見えても着かない涸沢の小屋」とか言っていたのを思い出した。その結果、コースタイムを大きく上回りヘロヘロになって小屋にたどり着いた。往年のアルピニストも形無しであった。

涸沢小屋から穂高吊り尾根を展望

しかし翌朝の景色はすばらしかった。太陽が山間から昇るにつれ山の上方が日に照らされ、その部分が赤くなる。モルゲンロートという現象だ。ほんの一時ではあるが、そんな場面を見ると感動が沸き起こる。この日は運よく快晴、足が痛いのも忘れて涸沢カールをトレッキングした。太古の氷河が岩肌を削ってできたカールは楕円形の谷で、その上にどっしり構えた奥穂高岳、三本の尖塔が天を突く前穂高岳、その2つをつなぐ吊り尾根は上高地から仰ぎ見る裏側の景色だ。さらにピラミッドのような涸沢槍、岩筋に残る美しい雪渓など穂高連峰の雄姿を十分楽しむことができた。

モルゲンロート(前穂高岳)

トレッキングの後、下山してこの日はもう1泊、上高地からそう遠くない明神という地に別の山小屋の予約をとっていた。涸沢カールから前日登って来た道を慎重に下り、林道を歩いて夕刻前にその小屋に着いた。明治時代からある嘉門次小屋という山小屋だ。日本のアルピニズム黎明期にこの地の槍・穂高など主要な山岳を日本アルプスとして西洋に紹介したウォルター・ウエストンの先導役を務めた伝説の人物、上條嘉門次が建てた小屋である。

平屋建てで普通の素朴な山小屋だが、レジェンド的な存在のうえ、部屋が4室しかなくなかなか泊まれない。今回は早めの計画が奏功し幸運にも泊まることができた。この宿には大きな囲炉裏の部屋があり、宿泊者はここを自由に使うことができ、歓談したり飲酒もできる。岩魚の串焼きが有名だが、ここで岩魚の骨酒をいただけることを知り、実はそれもお目当てのひとつだった。香ばしい骨酒を飲みながら仲間と語り合う涸沢の絶景。五臓六腑に染み込む骨酒は自然に眠りを誘ってくれた。あとで知ったがこの囲炉裏部屋は昨年、国の登録有形文化財に指定されたそうだ。そんな処で美味い酒で酔えるとは、よい思い出にさらなるプレミアムをいただいたような気がした。

囲炉裏端で岩魚骨酒をたしなむ (嘉門次小屋)

久々に涼を求めて訪れた涸沢は若い時とは比べようもない登山内容ではあったが、歳をとったなりの心豊かな山旅ができたことに満足し、暑さの待つ東京へ向かった。

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

無料診断、お問い合わせフォームへ