続・徒然日記

欧州にも万里の長城あり

2023年12月13日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


万里の長城といえば中国。秦の始皇帝が中国統一後、北方民族の侵入を防ぐため紀元前214年に築いた延々と連なる城壁だ。その後、王朝が変わって拡大延長、新設を続け、縦横何筋もの城壁ができて途方もない距離の軍事境界を成した。いまや幾多ある世界遺産の中でも中国の万里の長城は代表的なものの一つで、私も2回訪れた。ただ、同じような古代の長城が欧州にもあるのをご存じだろうか。ローマ帝国は欧州征服をめざし各地に軍隊を派遣して領土を拡げていったが、抵抗する現地民族の侵入を防ぐべく中国と同様、各地に長城を築いた。もう30年以上前になるが、私はこのうちの英国の万里の長城に行ったことがあり、山中に驚くほどきれいに延々と連なる光景を見て感動したことがある。今回はこの時の話を中心に欧州の万里の長城のことを書く。

私が英国の万里の長城に行ったのは1989年6月。欧州がEC市場統合(後のEU化へのアプローチ)に向けて動き出し、日本のメーカーが現地生産進出になだれ打った時期だ。私はこの取材で日本企業が多数進出した英国に入り、その日は大手自動車やベアリング・メーカーの取材でイングランド東北部のニューカッスルに来た。仕事が予定より早く終わり、どこか観光しようとインフォメーションに行くと、町の外れにローマ時代の万里の長城があると言う。ニューカッスルには他に大した観光地がなく、“長城”の場所もそう遠くないので、タクシーを呼んで行ってみた。結果はなにこれ! 町外れにあったのはいくつかの石ころが積まれたブロックで、市街化で破壊された残骸だった。タクシー運転手に愚痴ると、彼はこの先へ1時間も行けばものすごい長城があるという。陽が長いのでまだ時間はあるが、タクシー料金を問うと往復で日本円換算1万円ほどだという。安くはないが2度と来る機会もないので運転手のいうことを信じてGOサインを出した。

イングランドは北部に行くほど陸地が狭まり、東のニューカッスルから西のカーライルまでは120キロほどしかない。スコットランドとの境界線に当たる地域だ。タクシーはなだらかな丘をその真ん中あたりまで走った。運転手が「着いたよ」という駐車場には「ハドリアン・ウォール」と書いてあり、土手の上には城壁らしきものが見えた。後で知ったがここはその2年前に世界遺産に登録されていたそうだが、建物などないし平日の駐車場はこの1台、我々以外は誰一人いない。運転手は車をおりて一緒に土手を登り案内してくれた。城壁に登ってみると、なんと城壁が丘の上に延々と続くではないか。その光景は緑の丘を這う龍のようでなんともきれいだ。しばらく長城の上を散歩してみた。(写真①・写真②)

写真①ハドリアン・ウォール

写真②延々と続くハドリアン・ウォール (遠方の緑地を横切る線も含む)

ハドリアン・ウォールとはローマ五賢帝の一人といわれる第14代ハドリアヌス帝時代(在位紀元117~138年)に築いた城壁という意味だ。ローマ軍の遠征というと「ガリア戦記」のシーザー(カエサル)が有名だが、年代を追いブリタニア(現・イングランド)へも領土拡張を続けていった。ハドリアヌス帝はシーザー時代よりずうっと後だが、戦争による積極的な拡張をやめて平和なローマを治めたとされる。ただ、それまで征服した領土は奪還を目論む現地人から守らねばならない。ハドリアン・ウォールはカレドニア(現・スコットランド)のケルト人やピクト人の襲撃から防御するため東西をほぼ横断する形で造られた重要な軍事構造物であった。

英国の万里の長城はここだけではない。そこから北に150~160キロ、都市でいうとグラスゴーやエジンバラのあたりにもハドリアヌス帝の後を継いだアントニヌス帝の長城「アントニヌス・ウォール」がある。このあたりはスコットランドだが陸地が最もくびれた地狭で、東のフォース湾から西のクライド湾まで約60キロほどの長城を設営。石を取り入れた土塁ながら定間隔に保塁(砦)が置かれていて、ハドリアン・ウォールに代わる防衛線になったといわれる。

ハドリアヌスの長城(地図出典元:ウイキペディア )

このほか欧州大陸でもゲルマン人の侵入を防ぐリメスと呼ばれる長城跡の遺跡がある。リメスとはローマ時代の長城や物見櫓、砦などから成る防砦システムで、大陸でのローマの国境線を示す。ドイツのライン川、マイン川の流域のリメスが2005年、世界遺産に登録され、英国も含めて「ローマ帝国の国境線」として世界遺産にまとめられた。リメスは総延長550キロに及んだとされ、その後オーストリア、ドイツとスロバキアをまたぐドナウ川のリメス、オランダの低地ゲルマニアのリメスが別の世界遺産に指定された。

洋の東西にある中国と欧州ともに古代の大帝国に北の脅威があり、長城という同じ形で防御したというのは面白い。だが、20世紀後半の中国ソ連の対立や今日のウクライナを見ると、“北の脅威”は古代だけではないようだ。長い時を経た現代にも通ずる普遍的なテーマなのかもしれないと思ったりもする。

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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