歌舞伎で伝統破り女性が出演
2023年10月18日
『続・徒然日記』
葉山 明彦
今回は毛色を変えて私の趣味の一つである歌舞伎のことを書く。というのは今月、歌舞伎座で江戸時代以来の伝統を覆し、成人の女性が俳優として歌舞伎の舞台に立つという事態が起こったからだ。現在歌舞伎座で上演中の錦秋十月大歌舞伎・昼の部の文七元結(ぶんしちもっとい)物語(※)に寺島しのぶが主人公の女房役で出演している。
歌舞伎は江戸時代初期に出雲の阿国の「かぶき踊り」を基に始まった大衆芸能で、当初は遊女を含む女性も役者として登場していたが、1629年に幕府が風紀紊乱の防止を名目に女性が出演することを禁止した。そこで後年、男優が女方となり芸が確立、その伝統が脈々400年継承され先月まで来ていた。女性でも子供の出演は許されていた。最近でも市川團十郎白猿(十三代目、以前の海老蔵)の娘ぼたんがたびたび出演し、子役ならではの可愛さに好感が持たれた。しかし、成人女性が本舞台に立つことはなく、それが伝統を重んじる歌舞伎界の習わしとして定着していた。
では今回なぜその伝統が破棄されたのか。この先は私の推察である。一つは歌舞伎の人気低迷である。これまで歌舞伎座を中心に格式を重んじ大家名優を軸に舞台を作ってきたが、近年新たな客層の拡大が少なく、特に新型コロナ感染拡大のこの3年間は入場制限のほか公演中止もたびたびあって固定ファン層も漸減、経営的に厳しい状況が続いていた。それに輪をかけ大御所の一角、中村吉右衛門(二代目)が昨年亡くなり、市川猿之助(四代目)の自殺幇助など不祥事もあって“役者不足”の状況となってきた。これまで出演が限られ、出ても脇役だった中堅、若手の俳優に出番が回ってきたとはいえ、まだ役不足感は否めない。経営側にとっては何か妙手を打たねばならない待ったなしの状況になった。
そこに出てきたのは、松竹出身で「男はつらいよ」の映画で知られる山田洋次監督の登壇だ。今回、文七元結の脚本・演出全般を行う。山田監督は以前から文七元結の補綴を行い、故・中村勘三郎(十八代目)が生前、主役を快演した。文七元結は人情噺の古典名作だが、山田監督は「男はつらいよ」に限らず、倍賞千恵子を配した「幸せの黄色いハンカチ」のほか「遙かなる山の呼び声」など民子三部作で日本人の人情の琴線に触れる名作を排出した大御所だ。この山田監督が主人公として起用した中村獅童(二代目)とともに女房役に寺島しのぶを起用することを熱望したという。
寺島しのぶは歌舞伎界の名門「音羽屋」を仕切る尾上菊五郎(七代目)の娘で、その息子菊之助(五代目)の姉である。女性は歌舞伎俳優になれないため女優の道を選んだが、秀でた演技力で幾多の日本アカデミー賞を受賞したほか、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞し、いまや国際的な大女優である。本人は生来歌舞伎が大好きで、フランス人の夫との間に生まれた息子眞秀(まほろ)を音羽屋から歌舞伎デビューさせた。そして今回は女優である本人の登場である。
松竹の仕掛けは当然あったとみるが、歌舞伎界の置かれた現在の環境を踏まえ、人情ものの大家・山田監督の登壇、出演する女優は家柄・実力・名声を備えた寺島しのぶであるならば、伝統破りとはいえいまの歌舞伎界で文句を言う人は少ないだろう。私も先日観劇したがこれまで主役機会の少なかった中村獅童が主人公を活き活きと演じ、女房役の寺島しのぶとの息も合っていた。また大店主人役にはNHK「鎌倉殿の13人」で顔を売り、歌舞伎座の出演機会が増えた板東彌十郎が配役され、存在感を示していた。そんなわけで10月の歌舞伎座は大入りの状態となっている。
運送、建設業界の2024年問題のみならず人手不足は今や日本全体の深刻な問題となっており、旧態を踏襲してきた歌舞伎界もいよいよ危機が訪れた。今回の歌舞伎座十月歌舞伎では妙手を使ってなんとかしのいだが、これから先も厳しいのは同じだ。女性起用を今後多用するとは思えないが、歌舞伎界には実力があり期待される若手はたくさんいるので、彼らの登用育成を軸に、今回のような「改革」も交えながら発展させていってもらいたいものだ。
歌舞伎座十月大歌舞伎
※「文七元結」本所に住む左官屋・長兵衛は、腕はいいが博打好きで謝金だらけ。見かねた娘・お久が吉原の妓楼に身を売る。長兵衛は女将に説教を受け身代金百両を借り受けるが、帰りに大川端で若者が店の売り上げ百両を盗まれて身投げしようとしているのを助け、娘の身代金を与えてしまう。舞台は住まいの長屋に移り、女房・お兼は大事な金をまた博打ですったと大喧嘩となる。そこへ先ほど助けた若者の文七と店の主人が現れ、盗まれたと思った百両は置き忘れたものだったと返しにきた。主人は長兵衛の情け深さに感動し、お久を身請けして文七と夫婦にし、小間物屋を開かせることに。髪を束ねる新たな紐(元結)を売出し「文七元結」と名づけた。(参考・歌舞伎の事典=新星出版社)