派遣は悪?派遣事業者を取り締まる行政の考え方
2022年8月17日
労務管理ヴィッセンシャフト vol.2
◆現在の労働者派遣事業はどうして生まれたか
某大手派遣会社の会長が引退し、今大きな話題となっております。派遣業は今や当たり前の働き方として定着しました。
こんな話をすると若い方はピンとこないかもしれませんが、派遣業がここまで広がった歴史は、それほど深くありません。労働者派遣法施行は1986年、その当時は一部の高度な技能を有する13業種に限定されておりました。今でこそ派遣労働者=非正規労働者で、ネガティブなイメージが強いですが、当時の派遣労働者は、高度専門職限定のため、給与も決して悪くありませんでした。しかし、1996年に派遣対象業務が拡大され、対象業務が26業種に拡大されました。1999年に26業種をさらに拡大、業種もポジティブリスト方式からネガティブリスト方式に拡大されました。(許可するものを指定する・・・ポジティブリスト方式/禁止するものを指定する・・・ネガティブリスト方式)ネガティブリストとして禁止された派遣業務は、港湾運送や医療業務、建設業などです。ただし、26業種の派遣期間は3年、その他は最長1年間という期間制限付の解禁でした。
その後2004年、これまで最長1年だった期間が3年に延長し、26業種の派遣期間が無制限となります。また製造業の労働者派遣が可能となり、現在の格差社会を形成する大きな原因となりました。2008年リーマンショックを経て、多くの派遣労働者が派遣切りに遭い、自民党政権は国民の支持を失い、2009年の民主党政権誕生のきっかけの一つとなります。
2012年は、派遣社員の権利保護を目的とした法改正が行われ、派遣先社員との均等待遇が義務化されます。また日雇い派遣の原則禁止など、規制強化が行われます。
2015年には大きな改正が行われます。ひとつは特定派遣の禁止で、全ての労働者派遣事業は許可制になります。また、教育訓練の義務付けや雇用安定化措置実施の義務、新たな派遣期間3年ルールの改定等が行われます。とりわけ派遣3年ルールの見直しは、26業務の無期派遣に制限がかかる一方、一定の要件を満たせば超えることができるようになりました。反面、同一の組織単位における同一労働者の受け入れは3年が限度となりました。
このように歴史を振り返りますと、派遣法はわずか数十年の間に目まぐるしい変化をとげてきました。メルクマールとなったのは、1999年対象業務の拡大から始まる規制緩和の流れから、2004年製造業への対象業務の拡大に至る大幅な改定です。
まとめますと、当初は高度専門技術者のみを対象とした派遣労働者が、規制緩和を経て対象業が拡大され、派遣期間も引き延ばしすることで、雇用慣行に大きな変動をもたらしたといえます。
会社が派遣事業を行うためには、行政の許可を受ける必要があります。許可をもらう要件はいくつかありますが、会社の資産要件などがあります。何年か前に特定派遣が廃止された後、派遣許可を申請した会社が多数ありましたが、経過措置があったとはいえ資産要件は中小零細企業にとって大きなハードルでした。
それでは行政が労働者派遣事業を厳しく取り締まる理由は何でしょうか?
◆行政が労働者派遣事業を厳しく取り締まる理由
派遣は雇用する労働者を他人の指揮命令の元で、他人(他社)に使用させる制度です。俗にいう労働者供給事業と似たスタイルです。労働者供給事業というのは、いわゆる「人身売買」であり、中間搾取によって利益を得る人権侵害として違法となっております。
自己の管理下にある労働者を他人の指揮命令の元で勤務させる働き方は、前近代的であり問題も多いのですが、現代社会においてニーズもあり、人権侵害が起きない形で規制をかけることで合法化したのが、現在の労働者派遣事業ということになります。
雇用は派遣元、仕事の指揮命令は派遣先ということで、それぞれ雇用管理上の責任を持たせることにより、労働者に不利益や搾取が生じないような仕組みづくりをしなくてはなりません。たとえば派遣労働者は、自社の管理下で働かないため、教育訓練が受けらえず、キャリア形成がなされにくいことがあります。それら問題に対応するために、派遣元事業主に勤続年数やキャリアに応じた教育訓練等を義務付け、労働者派遣事業報告書などによる報告が命じられております。またマージン率が適正であるか、内訳をWEB等で公開する義務等もあります。
派遣労働は格差社会の原因で指摘を受けることも多いですが、歴史的に遡ると必ずしも経営側の都合のみで法制化されたわけではありません。強い規制の中で労働者に不利益が生じないよう設計された制度であることが見て取ることができます。