徒然日記

何故か話しが「山手線」へ

2020年6月3日

『徒然日記』 

 

最後まで残っていた首都圏等での「緊急事態宣言」は解除されましたが、感染者数2桁が続いたりたりして,予断を許さない状況が続いています。

時節柄、私は<STAY HOME>を忠実に実行しており、文字通り「食っちゃ・飲んじゃ・寝」の毎日ですので、体重の増加が気になります。そうかと言って,ずぼらな性格ゆえ、TVで良くやっている「お家で体操」も試みていません。そのような時に「ハカリに乗るだけで,体重増加抑制効果が出る」という、願ってもない情報を目にし,早速実行しました。

朝起きた時が何kg、トイレに行って-何g、食事で+何g、たまに買物に行って-何g、自然に減ること-何g・・・などと,その都度の変化を時々刻々記録していました(同居者に呆れられました)が、その際にふと、ボクシングをしていた友人のことを思い出しました。

私と同じ日に生まれた彼は,1960年のローマオリンピックに日本代表として参加しました。そのことを思い出していたときに、当時の彼の涙ぐましい減量方法が記憶によみがえりました。シャドーボクシングやスパーリングなどで汗を流したり、ランニングに励んだりは勿論ですが、何を食べると何g増えて、どうすると何g減るという細かなデータを持っていました。トマトを食べると体重が減るという彼の話は(一個で10g程度ですが)、「そんなことってあるの?」と反論しましたが、今に至るまで真偽を確かめていません。ご興味のある方は,お試しください。

その中に「山手線を一周すると<何g>減る(これも-20g程度ですが)」という数字がありました。そのことを思い出しているうちに、思いがその「山手線」に移っていき、「そうだ今回はこのことを書こう!」と“ひらめ”きました。この時期に反する「ノー天気な思い」ですが、「乗りかかった山手線」と言うことでお付き合いください。

かつての私の住処は、山手線で最も乗降客が少ない(29番目)鶯谷駅(46,473人/日)が最寄り駅でした。因みに、1番は新宿駅(2,119,569人/日)で、以下・渋谷、池袋、品川、東京と続きます。

今年3月14日に,30番目の「高輪ゲートウエイ駅」が開業しましたが,駅名の賛否や超モダンな駅舎などが話題になりました。そのことにも刺激を受けて、「山手線」について調べてみました。「山手線なんて知らないし乗ったこともない!」とおっしゃるお方もおいでかと思いますが,しばしお許しください。

そもそも「山手線」は1909年に電車運行開始、そして1925年に現在のような路線となりました。営業キロ数は<34,5km>(不動産的に1分で80m歩くとすると、7時間11分と言うことになります)。一回りの平均は約64分。何故か内回りが6秒遅い。

そのようなことで、鶯谷(正確には根岸)生まれで育ちの私は、毎日のように山手線に乗っていました。ところで,江戸っ子の私は「ヤマノテセン」と<ノ>を付けて呼んでいましたが,戦後占領時に当時の<GHQ>がローマ字表記をさせた際に<YAMATE Line>となり、以来長らく「ヤマテセン」でしたが、“ディスカバー・ジャパン”の流れに乗るように、1971年3月7日に再び「ヤマノテセン」が復活し現在に至っています。

その「山手線」の駅名に「秋葉原」と「高田馬場」があります。GHQ並みにローマ字で書きますと<AKIHABARA>と<TAKADANOBABA>です。私は大学時代「秋葉原」経由で通学していました。地方出身者が多い学友に、本来は「アキバハラ」なのだ!と、ことあるごとに力説していて、「アキバ」というあだ名を付けられました。私は「本来この地は“アキバガハラ”であったので“アキバ”が正しいのだ!」と主張していましたが、友人の「元:JR東日本取締役」に言わせると、「アキハバラが正解だ」(主張理由は省略)と言うことですので,やむなしく引き下がりましたが、「高田馬場」の方は,正しかったです。

史実によると、【徳川三代将軍家光により、旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が、高田に造営された】と言うことです。忠臣蔵をご存じの方は「ガッテン!」してくださると思いますが、その「タカダ」の「バンバ」で、かの堀部安兵衛の「高田馬場の決戦」が行われた史実もあって、駅名は「TAKADANOBABA」になったと思っていますが、こちらは,友人(元:JR東取締役)も認めてくれていました。

さらに余談を続けます。私の住んでいた地域の近くに,昭和の爆笑王「林家三平」、落語会の大立者「三遊亭金馬」などなどの超有名落語家先生がお住まいで,ご挨拶をさせていただいていましたが、となり駅に「四代目柳亭痴楽」という一世を風靡した落語家先生がおいででした。そうした影響も受けて,一時期落語家に憧れたことがありました。その痴楽師匠の落語をほとんど暗記しており、高校や大学時代は,会合の席で披露して(させられて!?)いました。

【柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりもっといい男】のまくらで始まる「恋の山手線」【上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り。彼女はきれいなうぐいす芸者(鶯谷)、ニッポリ(日暮里)笑ったそのえくぼ、田畑(田端)を売っても命がけ・・・】。長くなりますので「以下略」。

・・・と書いてきましたが、「緊急事態宣言解除」とはいえ、一部地域での「第2波襲来」が現実となっている時期です。「不謹慎!」とのお叱りを頂きましたならば、私の「不徳のいたすところ」で、出来ますれば「平にご容赦ください」。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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