徒然日記

極月(12月)14日から“脱線”

2018年12月12日

『徒然日記』 

 


師走になると、年寄りの頭にまずは浮かぶのは、「時は元禄十五年、極月(ごくげつ)十四日、江戸の夜風をふるわせて 、響くは山鹿流儀の陣太鼓。しかも一打ち二打ち三流れ。思わずハッと立上り、耳を澄ませて太鼓を数え・・・」。ご存じですか?ご存じない!?でも、話を進めます。

今回もまた懲りずに「老害まき散らし」です。冒頭に書きましたのは、「元禄忠臣蔵」の、講談の出だしです。昔ものの時代、12月というと、「赤穂四十七士の物語」で、埋め尽くされていました。正確に申せば、「12月14日(旧暦)⇒1月30日(新暦)」ということなのですが、旧暦の<1702年(新暦では<1703年>)以来、310数年もの長い年月、<12月14日>は、「知る人ぞ知る日」ですのでお許しください。

・・・で、一般的には、四十七士は主君の恨みを果たした忠臣で、吉良上野介は極悪人とされています。この分かり易い「善・悪説」のお蔭で、映画・演劇・歌舞伎・講談・浪曲等の各界は、大儲けをしたわけですが、その一方で、「浅野内匠頭:統合失調症説」や「吉良上野介:名君説」「赤穂藩と吉良藩との塩の利権を巡ってのいさかい説」などがあり、「接待役で恥をかかされた浅野内匠頭が、松の廊下で吉良上野介を切り付けて、切腹させられことに端を発する仇討ち」とは違った論旨があって、好奇心旺盛者からすると「一筋縄では解き明かせない“歴史の面白さ・不可解さ”を知らされた」となるわけです。

さらに「歴史の面白さ・不可解さ」に話を転じますと、先日、新聞広告にひかれて「信長はなぜ葬られたのか(阿部竜太郎:著)」を購入してきました。要するに「明智光秀は操られていた。この出来事は世界史的レベルの陰謀である」ということで、「キリシタン10万の兵をも同時に動員できた“織田信長”に、怖れを抱いた朝廷と当時の室町幕府が、明智光秀を操って、信長を葬らせたのが真相で、いじめに遭った腹いせが原因ではなかった。豊臣秀吉はそのことを事前に知っていて、上手く立ち回った」という話でしたが、それもありかなと、こちらにも歴史の面白さ(不謹慎?)を感じました。

私がよく利用する電車の車額に、日能研のテスト問題が時々掲出されます。先日分で、「江戸の仇を○○でうつ」「○○評定」「牛にひかれて○○参り」「○○の舞台から飛び降りる」「○○を見ずして結構というなかれ」など、「○○に地名を入れてください」という設問が6問ありました。自慢するほどではないですが、「こういう問題なら、私も有名中学に入学できそうだ」と少しは良い気分になりました。(自慢してる!)。で、その設問の6つ目に「敵は〇〇にあり」がありました。前述からすると「影の黒幕が『“本能寺”にいるのが<敵>だ!」と光秀を洗脳したということになります。

地名が入った諺に「ナポリを見て死ね」もありますね。私は「ナポリを見ました」ので、死ぬ資格(?)はあると思っています。

そのようなことで、歴史上の問題は、学者とか専門家の先生が、苦心して研究・発掘された成果を発表されて、我々は「そういうことなんだ」と納得して「おしまい」です。いまさら、明智さんや織田さん、吉良さんや浅野さんが青筋たてて反論してくるわけではないのですから、異説が出れば、以前に発表された諸先生方に、多少の問題が生じるレベルですが、“現在の話”となるとそうはいっていられません。

私は「政治と宗教に関しての、右か左か?」は謹んでいます。私ごときが、ああだこうだと言っても全く影響はないのですが、世の中の諸問題に対して、偉い方々が、右だ左だと、声高に論じているのを心良しとしていません。「テレビで発言する人」「新聞や雑誌で論じている人」は、良し悪しを決めつけるのではなく、「こういう見方がある」と解説するにとどめて、結論は、見る人・読む人に任せるべきだと思っています。

その流れで申し上げます。冒頭に出てきた「講談」ですが、私の好きなフレーズがあります。曰く「講釈師、見てきたようなウソをつき」「講釈師、扇で嘘を叩き出し」。いいですね。

たとえば、【“水戸黄門”。もともと江戸時代に「黄門漫遊記」のタイトルが講談で扱われたことが人気を得たきっかけだそうですが、実際には旅行などめったにせずに、文字通り、水戸のご隠居だったのが真実のようです。黄門様は、助さん格さんを引き連れて諸国を漫遊、『この印籠が目に入らぬか!』ということで、スーパースターの道を歩いたことになっちゃっています。その他、大岡越前、遠山の金さん、国定忠治、柳生十兵衛、清水次郎長などなど、映画、TVのヒーロー達の活躍も講談が生みの親】なのです。そのお蔭で、財を成した方々は大勢おいでになると思います。

現在では、講談や浪曲を聞きに行く人は随分と少なくなっているようですが、『モリさん・カケさん』や『ボクシング界忠臣蔵』などを、「見てきたように」話してくれたら、人気回復するかもしれませんね。

ということで、「元禄忠臣蔵」の最後のセリフで締めくくりとします。

【無事に主君の恨みを果たし、大石内蔵助を先頭に、老体手負いは中に入れ、活気な武士は前後を固め、身には揃いの火事装束。積もれる雪を踏みしめて、芝の高輪・泉岳寺へと引き上げた・・・。

ご存じ忠臣蔵の一席、これにて終了!(扇:パン!)】。

泉岳寺の最寄りの新駅の名は「高輪ゲートウエイ」だそうです。結構「異論」がありますが・・・。やがて、その<極月14日>です。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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