「エポック・メイキング」と「幸せ度」
2018年10月17日
『徒然日記』
唐突ですが、<epoch-making>という言葉があります。【新時代を画する、新紀元を開く、<旺文社:英和辞典>】という意味です。
ある時、いろいろな会社の社長さんや幹部社員の方が10人ほど集まった飲み会(公称:広域情報交換会)で、私が思いついて、「皆さんにとって、今の会社で、今の地位・立場に至った所以・経緯、『このことがあって、今の私がある』といった、“分岐点”というか<エポック・メイキング>的な出来事を聞かせていただけませんか?」と発言したところ、「それじゃあ、まず言い出しっぺのあなたから話をしてください」と、やり返されました。
その席には、素晴らしいキャリアをお持ちの“選り抜きの精鋭たる方々”がずらりと顔をそろえておいででしたから、 私としては、「どんな人生をたどってこられたのかな?」という好奇心から、「是非・是非!お聞かせいただきたい!」思いの発言でしたが、まさに、先に“一本取られて”しまいました。
というわけですが、“居並ぶ精鋭諸氏”に対して、“平々凡々な私の人生”などには、ご披露するほどの面白みはありませんが、そう言っては、あとが続きませんので、常日頃思っていることをお話ししました。
私の好きな中国の故事に「人間(ジンカン=世間、という意味)万事塞翁が馬」があります。博学の皆さんには、余計な注釈(蛇足)だと思いますが、私の<エポック>をごまかすために、その席で説明をしましたので、聞き手のおひとりのつもりでご辛抱ください。
【昔、中国北方の或る城塞の中に、物知り長老(塞翁)が息子と住んでいた。ある時、手塩にかけていた馬が、逃げて行ってしまった。周りの人たちは、大変気の毒がったが、塞翁は「そのうちに福が来る」と平然としていた。やがて、その馬は、隣国の駿馬を連れて戻ってきた。人々が喜んで祝福すると、「何か不幸なことが起きそうだ」と言った。その言葉の通りに、その駿馬に乗った塞翁の息子が、落馬をして大怪我をしてしまった。人々がお見舞いに行くと、塞翁は「これは、幸福のもとになるだろう」と言った。1年後、隣国と戦争があり、若者たちは兵隊として駆り出され、多くの若者達は戦死してしまった。しかし、骨折をして兵役を免れた塞翁の息子は、戦死することはなかった】という故事を話しました。
要するに私は、「何かを成し遂げつつ階段を上ってきた」という栄光の履歴などはなく、幾度も“挫折感”を味わってきましたが、その都度「待てば海路の日和あり」の精神で、出来るだけそのことでダメージを受けないように過ごして来たつもりです。そうしていると、次の新たな局面が開けてきて・・・、でもまた、“挫折”。そこからまた這いあがり・・・、と、まさに「塞翁さんの教えに従って」平々凡々でありますが、大きな傷を負わずに(単なる“無神経”?)やってきたと思っています。
そんな話をしたのちに、皆さんから「すこぶる興味深々話」を伺いました。私のどうということのない前座話が、功を奏したと思っています。それらの話を文章にしてご披露すれば「なるほど!」と思っていただけると思いますが、プライバシーにかかわることですので(著作権もありますか?)ご披露はご勘弁いただきます。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったとされる「山中鹿介(幸盛)」(尼子十勇士の一人)の逸話は有名ですが、なかなかそこまで“きも”は座りません。実際に山中鹿介は、上首尾のこともありましたが、結果的には艱難辛苦を味わった末に惨殺されてしまいました。「艱難汝を玉にする」と言われても、おいそれとガッテンはできません。
話があちこちへ飛んでしまいますが、私が昔「カラオケ店」でよく歌った曲に、さだまさしの「無縁坂」があります。「運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/そうゆうことって確かにあると/あなた(母)をみててそう思う♪」(前略・後略)。我が母の生きざまを思い起こしてみると、確かにそう思います。
「銀のスプーンを口にくわえて生まれてきて、一生幸せな人生を送る人」も居れば、「内戦に明け暮れている国に生まれて、食べるものも食べられず、貧困と恐怖の一生を終える人」も居ます。前者を<10>として、後者を<1>とした場合、「果たして私は、どのランクに属するのか?」と自問したとして、皆さんはいかが自答されますか?
「泣くことジトウには勝てない」などと、おやじギャグを言っている場合じゃないです。自答しますと、「<2や3>じゃないと思うけど、<7や8>でもない。良いところ<5>かな?大甘で<6>とするか?」といった感じでしょうか。皆さんはいかがですか。
前述、「無縁坂」ですが、私感では、さだまさしさんは、母上の「運」は<3.5~4>位に感じておいでではなかったかと思います。前後の歌詞と、あの“マイナーメロディー”からそう理解ました。【上に立つ人間は、ポケットに鏡を入れておかなければいけない(貞観政要:唐代に編纂された太宗(たいそう)皇帝の言行録)。 曰く:“明るく・楽しく・元気に”なれない人は上司の資格がない】。ということで、「ポジティブな気持ちでなけりゃいけない」と再認識しましたが、手遅れですか?その「情報交換会」で、グラスに残ったお酒を見ながら、「まだ半分有る!」とポジティブに思いましたが、「スケールが小さすぎた」でしょうか?