続・徒然日記

「葛西」いくつもの顔を持つ町

2025年2月19日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


私は東京23区の東端、葛西地区に40年住んでいるが、振り返えるとこの町は当時から変遷に次ぐ変遷で、ずいぶんと多面性のある不思議な町になった。かつて大量のマグロが回遊する水族館が話題となったが、近年、干潟がラムサール条約に湿地登録され、これと前後して東京オリンピックのカヌー会場建設で自然破壊と物議をかもした。また最近ではインド人が多く住む町とテレビで頻繁に紹介されている。今回はこの「葛西」という町にスポットを当て、住民として見た変遷を踏まえ、いくつもの顔を持つ今日の姿を記してみる。

インフラ整備で大発展

葛西は荒川と江戸川に挟まれた江戸川区南部に位置し、かつては静かな漁師町だったが、1969年に地下鉄東西線の延長で都心とつながりマンション建設が始まってベッドタウンとなった。私が移り住んだのは1985年で第二次マンションブームが去った後、バブル景気が始まる前のころだ。当時鉄道は東西線1本(都営新宿線、JR京葉線の開通はその後)しかなく、2年前に江戸川をはさんで隣接する浦安の東京ディズニーランドがオープンしたが、湾岸高速は途切れ途切れの暫定開通だった。のちにマグロ回遊で有名となる葛西臨海公園はまだなく、海は遠浅で潮干狩りができた。この町に初めて来た時、道幅が広く空が大きいのが印象的だった。海岸沖の埋め立てを含め都市計画のもと造られた空間に建つマンション群(当時はまだ一部を除き小規模)が新鮮で、米西海岸のような雰囲気があった。

その後、インフラ面の整備が進む。上記鉄道の開通や一般道の荒川にかかる橋も2つ増設され、都心とのアクセスが格段に向上。これとともに畑に次々とマンションが建ち、住民が増えていった。町名に「東」「西」「南」「北」に加え「中」を冠した5つの葛西の町と、埋め立て地の清新町、臨海町を加えた7町で、飲食店や小売店、コンビニエンスストア、スーパーマーケットなどはもちろん病院から整体・マッサージなど医療関係、ジム、美容院も劇的に増えた。さらに単に住宅街としてだけでなく、葛西の場合は東京の他の町と異なる以下のような特異な現象を伴って変遷していった。

いくつもの顔を持つ町に発展(写真:西葛西駅)

専門学校/ホテル/エスニック料理

①東京ディズニーリゾートが近いためホテルが多数進出、②都心に近く専門学校がたくさんできて学生街を形成、③都心に通うインド人の都内での集積地、④公園・緑地の広さとスポーツ施設の充実-。

①のホテル進出については、都心に近いためビジネスホテル需要は20世紀からあった。葛西、西葛西の駅から東西線で日本橋、大手町まで15分圏内という立地で都心に至便だからだ。しかし、今日のような大手を含めた観光型ホテルの進出が活発化したのは、2001年にディズニーシーができてからだ。東京ディズニーが“総合リゾート”化したころから、浦安が飽和状態になったのか、葛西に大型ホテルが増えて、送迎バスが町のあっちこちを走るようになった。

②専門学校の進出も交通の便のよさからだろう。30年ほど前から始まって、医療・健康福祉からスポーツ、芸能・アート関係、料理・スイーツ、美容、ブライダル、観光、動物ペット-とたくさんの分野の学校があり、いつの間にか学生街の性格を兼ね備える町となった。これに伴い町の年齢層は若く、コンビニやスマホ関係、弁当・飲食店の多さも都内有数だ。話はそれるが若者が多いのは学生だけでなく、江戸川区は子育て関係の福祉が充実していて、小さな子供のいる世帯が多いことも一役買っている。スーパーマーケットもかなりの多さで競争が激しく、物価は都内で最も低い町の一つだと思う。

多くの専門学校が葛西に進出した
(写真:東京福祉専門学校、東京ベルエポック製菓調理専門学校)

③インド人が西葛西に多く住むのは既にテレビなどで有名だ。インド人の多くはIT関係の技術者で、コンピューターの2000年問題から増え始めた。大手町の金融街や都心に近いIT施設などに勤める人が多いのだが、西葛西には1980年代からここに居を構えるインド出身の方がいて、来日するインド人の世話をしたのが始まりだそうだ。いまや西葛西のインド人居住者は3千人ほどまでになった。ただ私の知る限りインド人は群がらず、各家庭がポツンポツンとマンションなどに住んでいるようで、いわゆるインド人街のような場所は存在しない。それでもインターナショナルスクールがたくさんでき、高度な教育をしている学校には日本人を含めインド人以外の子弟もたくさん通っているという。

インターナショナルスクールが葛西に増えた
(写真:グローバル・インディア・インターナショナル・スクール)


インド人がたくさん居住したので、インド料理店もたくさんできた。従来のナンを主食とする北インド料理だけでなく、まったく異なる南、西インド料理の店もできて、とても美味しく私も頻繁に食べに行く。最近はインド人が多くいる相乗効果なのかネパール、スリランカはもとより中華、韓国、ベトナム、タイなどの当地人シェフによる料理店、例えば中華なら広東、四川、西安、西域などがあり、これに日本人の町中華、ラーメン専門店もたくさんあってバリエーションが豊かだ。そんなわけで一大エスニック料理圏を形成しているのも特徴だ。

豊かな緑地、スポーツ施設も充実

④公園・緑地の多さは、遠浅の浜辺や「川の手」という水辺の立地が関係する。1989年にできた葛西臨海公園は遠浅の海辺を利用した80万㎡の緑地で水族館、観覧車、ホテル、庭園、BBQ、船着き場などの施設のほか、渡り鳥のメッカとして2018年ラムサール条約湿地に登録された干潟が葛西海浜公園としてある。このほか西葛西駅から臨海公園に続く長い緑道、鉄塔下で住居地とならなかった緑地公園、新左近川両岸、町に流れる小川を改造して築いてきた親水公園など、私のいる40年間でかなり緑豊かな町となった。この結果、東京23区で江戸川区は最も公園面積が大きい区となった。

ラムサール条約で湿地登録された東なぎさ(写真:葛西臨海公園の大観覧車から)

スポーツ施設の充実ぶりも都内有数と言ってよい。2020年東京五輪でカヌー(スラローム)会場になり目が向けられたが、もともと埋立地の都市計画で整備されたこともあって、初めから施設がたくさんあった。水泳・武道・体操の体育館はもとより野球場、陸上競技場(サッカー場兼営)、フットサル・少年野球専用グランドのほかラグビー、アメリカンフットボール、ラクロスなどに使用できる全天候型人工芝を備えた臨海球技場などである。さらには3年前には2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本開催のレガシーとして「葛西ラグビースポーツパーク」がオープン。上記の各大型球技で使用できる施設が加わった。こうした施設の充実で一般や地域の使用だけでなく、女子ラクロスではW杯が葛西で開催され、ラグビーでもトップリーグの試合が誘致されるなどしている。このほか新左近川には区民用のカヌー場があり、近年はカヌーポロ専用施設も設置され、新しいスポーツ分野への取り組みも積極的だ。

ただ、2020年東京五輪のカヌー会場の建設では問題が起こった。東京都は葛西臨海公園敷地内にカヌー会場建設を計画したが、前述のラムサール条約湿地登録を目前にした干潟に近いため反対の声があがり、自然環境保全と開発発展で対立があった。結論をいうと、カヌー会場を西側の水再生センター計画地にずらすことで建設は実施されたが、小さな町内でラムサール条約と近代オリンピックという世界的な事象の相反が起こり、その後は両立しているというのは世界中でも珍しいケースではないだろうか。

国際化で亜流の渦の中に

 この町にはほかにも回遊式の日本庭園があったり、オーストラリアと提携する自然動物園があったり、まだまだ書けることはあるが、この辺にしておこう。一つの町がこんなにいくつもの顔を持ったのは、「いつの間にか」というのが住民の実感だ。ただ、20世紀終盤から21世紀序盤にかけて、東京の国際化が進む過程で亜流ではあるが渦のなかにこの町がいたのだと思う。この先どう発展し、さらに異なる顔を持つのかは未知だが、余生で見れるものなら見ていきたい。

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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