旅するお荷物

物流目線で見る一帯一路(その②)

2025年1月21日

『旅するお荷物 vol.4
大原 欽也

物流目線で見る一帯一路(その①)はこちら

【シルクロードの成立と衰退】
軍事力と機動力により一帯を支配した騎馬民族ですが、その侵略は苛烈を極めた一方で、統治は寛容でした。対立する敵は情け容赦なく壊滅したのに対し、服従する相手にはある程度の信教の自由を許したり、交易の保護も行なったようです。このジキルとハイド的な不思議な2面性は、よく語られるところです。思うに、彼らが移動生活をしていた事に理由があるのではないでしょうか。手の込んだ物品や農作物の生産は定住生活が大前提です。考古学的にも狩猟採集の移動生活での産品は矢じり程度ですが、農耕の定住生活になって初めて土器が制作されるようになったとされます。ちなみに、日本の縄文時代は狩猟採取とされていますが、同時に調理用の土器も制作しており、定住しつつの狩猟採取生活だったようです。食料が豊富にあったのか、世界的にも特異なライフスタイルだったのかもしれません。

脱線してしまいました。つまり、如何に豪華なゲルに居住してもテントはテントであり、誇り高き騎馬民族は定住を拒み続けたのでした。なので、周辺の定住民族との交易で物品や農産物を手当てすることがどうしても必要だったのでしょう。これはあくまで私の考えですが、そうであれば域内の経済規模以上に交易は盛んだったということになります。その方法は強引なものだったかもしれませんが。そんなこともあって、経済的繁栄以上に盛んな域内交易に支えられ、東西間のシルクロード交易が成立したと考えます。

写真:モンゴル帝国時代のゲルの再現 (宮脇淳子「モンゴル帝国」より)

しかし、やがて大航海時代が訪れます。それまで西の辺境でしかなかったヨーロッパが1,000年の停滞から目覚め、世界の海に乗りだし、交易の主体が欧米列強による海上貿易にシフトしました。それは交易というより一方的な略奪と殺戮といった方がよいかもしれません。なにせ当時のヨーロッパには売るほどの商品はなかったし、欲しいものは奪えばよいというスタンスだったのでしょう。その結果、世界の繁栄の中心が西ヨーロッパ移ってしまいました。それに伴って、アジアの交易網、ひいてはシルクロード交易の秩序も衰退していきました。

この流れは最近まで続いていましたが、ようやく東アジアやインドを含む島嶼列島が復興しつつあります。いまだ、内陸部は取り残された感がありますが。そんな中、復興の雄である中国が一対一路構想をぶち上げたのでした。

一帯一路の物流価値
以上の議論を踏まえ一帯一路に話をもどします。ここまで考えて、私自身、シルクロードという名前と広大な構想に、目がくらんでいたのかもしれないと思い立ちました。頭を冷やして、一帯一路の物流網としての価値を評価してみます。

まず、これだけ長いサプライチェーンを構築するには莫大な資本投入が必要です。更に、完成後もばかにならない維持コストが発生し続けます。これらはルートを通る国々の負担となるでしょうが、国の経済状況はまちまちですから、安定した維持管理は困難となるでしょう。当然ですが、一か所でも通れなくなると、そこで破綻するのです。それ以上の負担となるのは、おそらく鉄道システムの情報管理です。複数の国をまたがる広大な鉄道網を一括管理しなくてはならないのです。その管理主体は誰になるのか、負担割合をどうするのか、さらに、ここが大事なのですが、情報の透明性とセキュリティという二律背反を誰がどうやって担保するのか。

そして、いまさらですが、そもそも運ぶべき荷物があるのか。シルクロードの議論に立ち返れば、西と東の端っこ同士で荷物のやり取りをしてもだめだと思うのです、コストに見合わないだろうから。ならば、途中の内陸国に荷物があるかというと、残念ながら構想に見合うほどのものではないでしょう。逆に、荷物があるというなら、物流網を何とか作らなきゃ、と大騒ぎしているはずです。

さらに、いまさらですが、そもそもサプライチェーンというものは、運ぶべき荷物があるから、何とか構築しようとするものです。荷物が出てくるかもしれないから、とりあえずサプライチェーンを作っておこうというのは、前後が逆です。それでは泥縄式ではないか、転ばぬ先の杖ともいうではないか、と思われるかもしれません。しかし、準備しておく縄には常にコストが発生するということを忘れてはいけません。喩えが悪くて申し訳ありません。実際、一帯一路の構想を説明する資料の中には、荷物の情報はあまり見当たりません。絵に描いた餅でもなく、餅がないのに絵を描いた、みたいな。

誤解しないでいただきたいのは、例えば、どこそこに工場を作るとかショッピングモールを作るとき、物流は操業してから開店してから考えればいいよね、ということではありません。こういう場合は先行しなくてはなりません。ということで、まずは決して豊かではない内陸国に対する経済支援が必要ではないでしょうか。その結果荷物が増えたら、どうやって運ぼうか考えるのが筋だと思います。幸い鉱物資源は豊富なので、採掘技術、製錬技術の支援などを通じて、ウイン-ウインの関係を築けるのではないでしょうか。

海の一帯一路
なお、一路、つまり海上ルートに関しては、従前より海上交通の盛んな地域です。それと海上輸送は基本的に中間の立ち寄り地は設けません。途中で荷を下ろしたら、せっかくの輸送効率のメリットがなくなります。必然的に、2ヶ所間の輸送で、長らく続いていて、あえて一路ということでもないかと思われます。新規港湾建設といったことはあるでしょうが、新機軸とまでいえるのでしょうか。ここで、何より重要なのは自由で開かれた海の担保です。

【まとめ】
いろいろ述べてきましたが、サプライチェーンを作るのは、荷物がある、あるいは確実に生じることが分かった上でのことだということです。当たり前のことだと、わかっていただけると思います。

◆出典元
・ヴァレリー・ハンセン:図説シルクロード文化史
・森安孝夫:シルクロード世界史
・フィリップ・D・カーティン:異文化間交易の世界史
・トム・ミラー:中国の「一帯一路」構想の真相
・福田邦夫:貿易の世界史
・進藤 榮一, 他:一帯一路からユーラシア新世紀の道
・宮脇 淳子:モンゴルの歴史

著者プロフィール

無料診断、お問い合わせフォームへ