ストライキは迷惑行為?労働争議における民事責任について
2023年10月11日
労務管理ヴィッセンシャフト vol.16
◆労働三権とストライキについて
先月に引き続き、ストライキのお話をしたいと思います。SNSなどの投稿を見ますとこと「ストライキは社会の迷惑」「自分達の主張を通したいがために、社会や職場に迷惑をかけている」といった意見も多く見受けられました。日本においてストライキは年々減少傾向にありました。厚生委労働省「労働争議統計調査」によると、1970年代ころはストライキも盛んに行われ、年間約5千件超のピークに達しておりました。しかしその後減少傾向にあり、令和3年は年間30件弱となっております。その意味でいえば、最近の某百貨店の労働組合によるストライキは、スト権の威力を世間に再認識させる事件でした。
ストライキという行為は、ある意味労働者にとっては、最強の権利行使であるといえます。つまり労働契約において賃金を受ける代わりに行う労務提供義務は、最も重要なことであり、これを武器にするという行為だからです。当然のことですが、事業活動は労務提供があって成り立つものです。これらを行使しない(義務を履行しない)ことを盾にして争う行為なので、ある意味労使間の戦争状態が生じることになります。
それでは労働契約にとって最も重要な労務提供、これを行使しないというのは、刑事上及び民事上の責任が生じないのでしょうか?結論から申しますと、ストライキ始め争議行為は、憲法第28条で団体行動を行う権利として保障されており、刑事上も民事上も法的な責任を問われないよう保護されています。
先月も述べた通り、ストライキは労働三権(団結権、団体行動権、団体交渉権)であり、労組法で認められた行為となっております。しかしながらこの権利は、あくまで労使間の勢力の均衡を回復するための手段として認められているにすぎません。日本国憲法において、人は皆平等なので、会社の中においても社長と社員は法の下において平等です。しかし実際は雇う側のほうが雇われる側より力関係は強いです。そのような中、労働者に不利な労働条件が強要されることも想定され、ブラック企業みたいなものが生まれる背景が出来上がってしまいます。これらバランスの均衡を保つためには、信義則や自然発生性に任せるだけは不十分であり、法の元の平等を担保するためにも、労働組合法や労基法など「ちょっと労働者側に有利な法律」で守る必要があります。いわば「下駄を履かせてあげる」ことで、均衡を保つということです。
これに対し、経営者側は何ら対抗手段を持たないのでしょうか?行き過ぎた権利の保障は、時として濫用されることもあり、逆に事業活動の妨げとなってしまい、社会に大きな悪影響を及ぼすこともあります。権利を守ることは大事なことですが、世の中を支えるインフラにまで影響を及ぼすことになると、労働者保護の観点から大きくずれることになりかねません。会社側が著しく不利な圧力を受けることになるような場合には、衝平の原則に照らし、均衡を回復するための対抗的手段として使用者側のロックアウトも正当なものとされるケースもあります。ロックアウトというのは、会社側が争議行為の相手方たる労働者に対し、事業所から集団的に締め出す行為です。何のために行うかというと、争議行為により、「使用者側が極端に不利な状況に陥った」場合などに限り、会社側からの争議行為として認められているものです。
◆争議行為に刑事責任が問われた事例
先ほど争議行為は労働三権で刑事及び民事責任が免責されるというお話をしましたが、逆にそれらが問われた事例もあります。某タクシー会社の例ですが、どんな労働争議だったかというと(下記)
- 会社と組合の賃上げ交渉が成立せず、ストライキが決行される。
- 会社側は事業の妨げとならないよう、管理職のみでタクシーを稼働させることを組合に通知する。労働組合側にその稼働の邪魔をしないよう要請した。
- ストライキの際、組合員である労働者が車庫前に座り込み、稼働を阻止する。
- 会社は撤去を命じるも、組合側は応じなかったため、タクシーを稼働できなかった。
- 会社は組合側に損害賠償を求めるも、組合はこれを不服として訴えを提起する。
お読みになられて、いかがでしたでしょうか?
賃金交渉が成立しなかったということは、組合側の意見が通らなかったということでもあります。だからストライキで抗議を決行した。そこまではよいとして、会社側は事業運営に支障をきたさないよう、管理職のみでタクシーの運行をしようとしたら、組合がそれらを妨害する行為を行った・・・組合はやりすぎの感じがしませんか?
裁判の結果、この争議行為は正当性を欠くとして、民事責任が問われることになりました。すなわち会社から組合への損害賠償が認められたのです。
このように、組合に労働三権があるとはいえ、行き過ぎた争議行為は民事責任が問われるケースもあります。何が言いたいかと申しますと、労働三権はあくまで労使の力関係の均衡を図るためのものであり、社会通念に照らし行き過ぎた行為は認められない事案もあるというお話でした。