続・徒然日記

サザン・ホスピタリティ

2022年12月14日

『続・徒然日記』
葉山 明彦


今回は米国で私が行った都市(地域)の中でも強く思い出に残るジョージア州のことを取り上げる。私がこの地を訪れたのは1988年。歴史的な円高となったプラザ合意(1985年)後、日本企業が米国に生産や販売拠点を拡大して2~3年経つうちに、南部のジョージア州に現地生産で進出した日本のメーカーは50社超、オフィスを持つ日本企業は200社以上となり、全米でニュージャージー州を抜いてカリフォルニア州に次ぐ第2位の進出州となった。なぜジョージア州が? ジョージア州やその州都アトランタがどんなところか関係しそうな資料や文献を集めるなか、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」で、次のフレーズを発見した。「ジョージア州の古くから開けた土地や遠方の諸州から元気で活動的な人々が、鉄道の連結点を中心として急速に膨張しつつあるこの町(注・アトランタ)に惹きつけられ、希望に燃えて続々と集まってきた。なぜ、こんなに早く発展したのだろう。そこにはとりたてて自慢できるようなものは何もないではないか。ただ、鉄道があるだけではないか――」。時代的には南北戦争初期のアトランタを描写したヒトコマである。おや!? 百数十年前とはいえ、今の状況と似ているではないか。「ただ“鉄道”があるだけ」を“空港”に置き換えれば今に通じる。「なぜ、こんなに早く発展したのだろう」この疑問は今と同じだ。結果的にこの答えを特集としてリポートするための渡米となった。

州都アトランタは米国東南部の金融・商業の中心地。1980年代後半には、鉄道以外にも全米最大級の空港が整備され、南部の人流・物流の集積地となりつつあった。円高後の日本企業の米国進出は、自動車関連やエレクトロニクスを中心にシカゴ周辺の中西部一帯が主で、南部のジョージア州は少し外れていた。現地取材を経てジョージア州への進出が多くなったと思われる要因は、①アトランタを本拠とするデルタ航空が日本に乗り入れ、日本にとってジョージア州との“距離”が近くなった、②中西部は企業進出が殺到して賃金相場が上がり、ジョージア州は労賃その他を含めてコスト的な優位性があった、③アトランタは南部の販売、物流で要衝となる都市である――などであることがわかった。

しかし、私はそうした要因に加え、数字には出て来ない別のよさが後押ししているのを感じた。それはアグレッシブさに加えて南部の人が持つ「サザン・ホスピタリティ」である。日本語に訳すると南部人情とでも言おうか。簡単に説明するのは難しいが、現地で聞いた「北部の人は相手が自分の味方とわかるまで親切にしない。南部の人は自分の敵とわかるまで親切にする」ということばによく表れている。サザン・ホスピタリティが当時の日本人の感覚に実によくマッチしていたのだ。米国流の一般的なあいさつはハイなことばを交わし笑顔の握手をするというのがスタイルだが、南部では「こんにちは」とあいさつしたあと「こっちにおいでよ」と隣のテーブルに招いて自らコーヒーを注いでくれたりする。スッと仲間に入れる感じがする。

南北戦争は工業化する北部、農業中心の南部という異なる経済構成のなかで勃発、南部の奴隷を解放して多くの労働者が必要だった北部に供給することで米国の資本主義発展の節目となった。しかし、奴隷も家族と同様にホスピタリティを持って暮らしてきた南部社会は、南部らしい伝統的なよさをそれ以降も脈々と受け継いできたのだろう。

アトランタの後、同じジョージア州のサバンナという港町を訪れた。アトランタより数段小さな町だが、大西洋からジョージアに貨物を出し入れする要衝だ。風と共に去りぬでは南北戦争時にレット・バトラー船長が北軍の砲弾をかいくぐってこの港へ物資を運んだ英雄として描かれている。実際の南北戦争では戦場となったアトランタと違って地上戦の戦禍は免れたので、町には歴史的な建造物が数多く残っていた。港湾の取材を終え、商工会議所の人から厳かなレストランに食事を招かれた。その人からこの町は代々親の会社を継いできた人が多く、みんな昔からの知り合いで、そうした人たちで町が運営されてきたという話を聞いた。時間がゆっくり、トツトツと流れているのだろう。地方には伝統がさらに色濃く残っているようだった。

アトランタから帰国の途につく時、空港に送ってくれた現地の人が「一度、ジョージアに来た人は必ずまた来たくなるという言葉があります。あなたもきっとそうなりますよ」と言った。スカーレット・オハラにこそ遭遇しなかったが、この地に来て何か仕事以上の成果を得た気がした。それから30余年、機会なく再訪はしていない。ジョージアの経済規模もあの時と比較にならないほど発展し、社会もそうとう変わったことだろう。ただ、“我が心のジョージア”はあの時のままだ。それでよいと思っている。少なくとも再訪する時が来るまでは。(了)

著者プロフィール

葉山明彦

国際物流紙・誌の編集長、上海支局長など歴任

40年近く国際関係を主とする記者・編集者として活動、海外約50カ国・地域を訪問、国内は全47都道府県に宿泊した。

国際物流総合研究所に5年間在籍。趣味は旅行、登山、街歩き、温泉・銭湯、歴史地理、B級グルメ、和洋古典芸能、スポーツ観戦と幅広い。

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