「新しい資本主義」とは
2022年2月16日
『徒然日記』
過日、「内閣官房のホームページ」にこのような記事が出ていました。「多くの人に知って欲しい」という目的が有ると思いますので、転記させていただきました。
【「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとした。新しい資本主義を実現していくため、内閣に「新しい資本主義実現本部」を設置しました。新しい資本主義の実現に向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催しています。】・・・ということでした。
我々がこれまで経験し、受入れてきた「資本主義」は、例えば「『工場を作って最新式の機械を備えるといった有形の資本設備』を武器に、他社に負けない製品を作って、市場で販売する」という手法で「経済価値」を生み出してきたと思っています。
物流業においても、倉庫を建てて、新しい物流機器を設置して効率化を図り、輸送手段も加えることで、「保管」「荷役」「配送」という「資本設備依存」型の「総合物流」を構築してきました。その結果として「サプライチェーン・マネジメント」という手法が新たに出現し、「総合物流改善」に向かっているわけですが、生産から消費に至る過程において、「欲しいものを欲しいだけ作り、欲しい人のところに、欲しいときに届ける」。この流れを「いかに実務に生かしていくか」が課題となり、そのために「正確な情報をいち早くキャッチする技法」いわゆる「情報」という、「資本無き資本」が浮上してきました。
この部分でのチャレンジは立派な「新しい資本主義」といえると思います。
ここで目を世界に転じてみますと、<Google>、<Bing>などの「世界有数の検索エンジン」(<YahooJapann>も然り)は、前述したような「有形の資本設備は持たずに、情報やデータを用いて、そこから莫大な「経済価値」を生み出しており」、こうした業種がアメリカ経済を牽引し、押上げています。
これらの企業は基本的には「工場や機械設備や建造物などの「有形資本」は所持せず、もっぱら、「所持しているビッグデータ」を活用して経済的な価値を生み出していると言うことです。
このことは「巨大IT企業」に言えるだけではなく「製造業」にも当てはまります。先進的製造業は、工場は持たずに、「作る部分」は「電子機器の企画から組み立てまで」を受託している企業に任せて、開発、設計、ソフト部分の販売など、付加価値の高い仕事に集中することで、高収益を得ているということです。「アップル社」がその典型的な例にあたります。
それに関して、私はまったく理解が出来ていない分野に「ユーチューバー」が有ります。
日本でも話題になって私も知っていましたが、アメリカ・テキサスに住む8歳(当時)の男子(父親は日本人。母親はベトナム人)は2019年の年収がなんと<30億円近く>あったそうで、2019年とその前年は彼が全米No,1でしたが、ユーチューバーの年収は時を追うごとに増加していて、昨2021年の第1位は「23歳で年収5400万ドル(約62億円)」という凄い数字を稼いだそうです。
要するに<YouTube>で、見たこともないような動画を配信し、べらぼうなアクセス数を誇って、そこからの広告収入が年収の半分。後の半分は、グッズやNFT(暗号資産の一種)などと、全米の千数百のレストランで「ハンバーガーチェーン」を展開して1億人近いチャンネル登録者に購入を呼びかけての収入だそうです。
これは立派な「資本無き資本主義」ですね。
そこで思いつきました。クッキー編集長に「大目玉」頂戴するのを覚悟で申しあげます。日本の古い諺に「他人の“褌”で相撲を取る」が有ります。「言い得て妙なり」。これも立派な「資本無き資本主義」です。岸田首相「日本にも古くから『新しい資本主義』はありました」よ!
これらに関連して、手近なところで、我が国でもこのような実験が行われていました。「商品を売らない店舗」の出現です。「行ってみたい」と思わせることが第一条件ですが、この店舗への来店者に対して、多くの魅力的な情報を提供することで「購買意欲」を引き出します。しかし、商品は販売していません。購入は実店舗に任せることになります。先にご紹介した「アップル社」の手法と同じで、固定している「売上-コスト=利益」は「実店舗」に任せて、開発、設計、ソフト部分の販売など、付加価値の高い仕事に集中することで、高収益を得ているということです。「有形商品-コスト=利益」からの脱皮が「新しい資本主義」へのステップということになります。
そのようなことですが、人情家を自認している私としては、少々ためらいます。地道に農作物栽培に励んでいる「農家」の方。「船底の下は地獄」の危険も顧みず漁に励んでおいでの「漁師」の方。汗水流して日夜仕事に打ち込んでおいでの「下請け町工場」の方。気がつけば、こういう方々の努力と言うか犠牲的精神が有って「新しい資本主義」は成り立っているという一面も見えてきます。
総ての人々が豊かに暮らせる「さらなる新しい資本主義」。そこまでも目指していかなければ、ならないように思いますが、22世紀への課題でしょうか。