徒然日記

日本プロ野球・今昔物語

2019年4月17日

『徒然日記』 

 


4月1日に新年号【令和】が発表されましたが、その3日前、今年のプロ野球がスタート。どのようなドラマが展開されるか楽しみにしている一人です。

我々の時代の小学生は、「将来何になりたいか」の質問に対して、女の子は「看護婦さん」「幼稚園の先生」、男の子は「プロ野球選手」「電車の運転手」でした。体力ナシ、運動神経ゼロの私でさえも、「プロ野球選手」を夢見たことがありました(恥かしい)。その後、男の子は「サッカー選手」、女の子は「“ケーキ屋さん”・・・ではなくて“パティシエ”」となりましたが、平成30年間の調査まとめ(第一生命)では、男の子は「野球選手」(15/30)が第1位。イチロー選手や大谷選手など、アメリカ大リーグで活躍している選手たちの影響からでしょうか。女の子は「食べ物屋さん」(24/30)がダントツ1位でした。

そのプロ野球ですが、昭和11年に「日本職業野球連盟」として誕生しました。太平洋戦争中は、「敵国・米国発祥のスポーツ(運動競技?)である」ということで、厳しい制約を受けて、いわゆる<英語(敵性語)>は一切禁止。「ストライク(正球⇒よし一本)、ボール(悪球)、アウト(無為(ぶい)、セーフ(安全)、プレーヤー(戦士)、三振(それまで)、フォアボール(よっつ)、ヒット(正打))等々⇒以下略」だったそうです。実況放送のアナウンサーは、どんな喋りをしていたんでしょうか?

そのベースボール=【野球】は、我が地元の名士“正岡子規”が名付け親だという話を聞いたことがありますが、「ベースボール」(Ball in the field)を、初めて「野球」と日本語に訳したのは(明治27年)、第一高等中学校の野球部員であった中馬庚(ちゅうまん かなえ)という方だそうです。しかし、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などという日本語訳を作った功績で、正岡子規は「野球殿堂入り」を果たしています。正岡子規(東大野球部?)は、本名「升(のぼる)」をもじって「野球(の・ぼーる)」という雅号(ペンネーム)を用いたことがあるそうで、このことから、「名付け親」と誤解されているようです。(注:中馬庚も、この功績によって、昭和45年に「野球殿堂入り」)

ここで、余談です。私が小学生だった昭和24年に、15年振りということで、米国プロ野球チーム「サンフランシスコ・シールズ<AAA>(マイナーリーグ)」が来日しました。我が小学校にも数名の観戦者募集があり、プロ野球選手を夢見ていた私(前述)も、もちろん応募しましたが、残念ながら「落選」。日本チームは7戦戦いましたが、総て敗戦。現在、多くの日本選手が、メジャーリーグで大活躍している姿は、その当時は想像すらできませんでした。

プロ野球は、終戦後の昭和20年~21年にかけて復活しました。その後、昭和25年の<2リーグ分裂騒動>や、それ以後の「球団吸収合併」などを経て、現在に至っています。

日本プロ野球球団の「運営母体」の変遷を、時代時代の企業の栄枯盛衰とあわせて眺めてみますと、興味深いものがあります。現在は、ご存じのように【*新聞系 – 巨人(読売新聞)、中日(中日新聞)。*食品系 – ニッポンハム(日本ハム)、ロッテ(ロッテHD)、ヤクルト(ヤクルト本社)。*鉄道系 – 西武(西武鉄道)、阪神(阪神電気鉄道)。*情報・通信・金融系 – ソフトバンク(ソフトバンクグループ)、楽天(楽天)、DeNA(ディー・エヌ・エー)、オリックス(オリックス)。*独立系 – 広島(マツダ創業家)】となっていますが、かつては【新聞系―読売、毎日、サンケイ、中日。鉄道系―西武阪神、阪急、近鉄、西鉄、東急、国鉄。そして映画系―東映、大映、松竹】(赤字は現存)等がありました。時代の流れでしょうか、【映画系】は影をひそめ、変わって、情報・通信・金融といった【ソフト系】が出現しています。

さらに、最近では、地元との共存共栄を図るという意味で、球団名の初めに「地域名」をつけている“球団”は、12球団の中で、なんと<8チーム(パリーグ:5)(セリーグ:3)>もあります。恥ずかしながら、70年に及ぶ我が贔屓チームは「“北海道”ニッポンハムファイターズ」ですが、当球団は、北海道179市町村を全力で応援しようと、毎年<18市町村>にそれぞれ複数の応援大使を任命しています。因みに昨年は、「大谷選手は⇒幕別町」「中田選手は⇒剣潟町」「寿司パワーのレアード選手は⇒北竜町」の応援大使になっています。この様に、東京から北海道に本拠地を移して以来「地域密着」を心掛けてきました。その努力の成果で、本拠地(フランチャイズ)を北海道とする15年前までは、北海道は「ジャイアンツファン」一色(72%)でしたが、現在では、逆に「ファイターズファン」一色となりました。それには、かの「新庄剛志氏」の<仰天パフォーマンス>も、一役買っていましたね。

私が同チームのファンになったのは、70年ほどの昔、当時のエース黒尾投手からダッグアウト裏で「坊やよく来たね」と頭を撫でてもらって以来です。最近では、試合前の観客入場時とか終了後とかに、選手がファンと握手をしたり、ファールボールは観客にあげたり(昔は係員が強制的に取り上げ)といったファンサービスなどで観客動員増を図っています。

そこで提案です。<熱烈応援球団>を作って、「プロ野球」を楽しみましょう!

質問!「東北楽天ゴールデンイーグルス」。正確にこのチーム名を言えたら、あなたは立派な「プロ野球通」です。

著者プロフィール

小泉武衡

職歴
 元 寺田倉庫株式会社 取締役


1964年より「物流業」に携わり、変化する“各時代の物流”を体得するとともに、新たな取り組みとして「トランクルーム」や「トータル・リファー・システム(品質優先ワイン取扱い)」事業に力を入れてきました。さらに、営業・企画・渉外・広報棟ほか、倉庫スペースを利用した「イベント事業責任者」などを歴任し、旧施設の新たな活用、地域開発、水辺周辺の活性化に尽力してまいりました。

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